「悲しみ」で貫かれたMV-乃木坂46「夜明けまで強がらなくてもいい」MVを解説
9月4日、乃木坂46の24枚目シングル「夜明けまで強がらなくてもいい」が発売されます。
今回は、そのミュージックビデオの演出意図について考察、解説していこうと思います。
僕はこのMVを見たとき「なんて素晴らしいMVなんだ!」と感動したのですが、YouTubeのコメント欄では否定的なコメントも少なくなかったので、なんとかこのMVの素晴らしさを語りたい!ということでこの記事を書きました。
前置きしておくと、楽曲というよりもMVそのものに焦点を当てた記事になります。
歌詞の意味などについては深入りしませんので、あしからず。
目次
- お前のファン歴なんぼのもんじゃい!
- はじめに-テーマは何か?
- MVで描かれている三つの構造
- ドラマパート-「悲しみ」で統一されたオムニバス
- 4期生のプロモーション-王道のアイドルソング形式
- ダンスパート-作品の世界観を支える「軸」そのもの
- おまけ-桜井玲香の卒業
- まとめ
お前のファン歴なんぼのもんじゃい!
さて、本題に入る前に。
読んでいる方はきっとこう思ったことでしょう。
大口叩いてるお前は何者だ、と。
僕も、乃木坂46の一ファンです。もちろん。
いつからファンなのかというと、2018年の3月ごろからになります。3回目の「乃木坂46時間TV」のあたりでしょうか。
もちろん46時間ぶっ通しで見ました。
え?新規が偉そうに語るな?
まあ、そう言わずに。
乃木坂46のファン歴はまだ浅いですが、今回はMVの演出について書こうと思っていまして。
映像作品は年間200本(×10年以上)は見ていますし、自主制作映画も撮っていました。
現在でも形を変えて作品作りはしていますので、それなりにモノを見られるほうだと自負しています。
というところでお許しいただければと。
以下、ちょっとまじめに書くので文体が変わりますよ。
はじめに-テーマは何か?
「夜明けまで強がらなくてもいい」のテーマは、「悲しみ」と、それに立ち向かっていくための「希望とは」だと考える。
これは歌詞からも読み解けるし、MVもその意図で作られたシーンがあるように見えるので、それを一つ一つ考えていく。
MVで描かれている三つの構造
「夜明けまで強がらなくてもいい」は楽曲がもつ意味が多い。
4期生の初選抜曲であり、さらにキャプテン桜井玲香の卒業シングルでもある。また、「裸足でSummer」以降新センターを迎える際に多かったいわゆる「夏曲」ではない。
MVを作るにあたって、演出するのが非常に難しいシングルだといえる。
そんな「夜明けまで強がらなくてもいい」のMVは、三つの構造で成り立っている。
ドラマパートとダンスパート、そして初選抜の4期生3人のプロモーションである。
この三つを高いレベルで共存させているところが、今作MVのもっとも素晴らしい部分といえる。
では具体的に見ていこう。
ドラマパート-「悲しみ」で統一されたオムニバス
ドラマパートでは、生田絵梨花、白石麻衣、齋藤飛鳥、桜井玲香、松村沙友理、堀未央奈、山下美月、与田裕希のシーンが描かれている。(4期生は除く)
各メンバーは監督からそれぞれ設定を与えられ、演技するよう言われたという。
メンバー達は、それぞれのリアクションで悲しみを表現している。
とくに印象に残るのは、ドーナツをやけ食いする堀未央奈と、狂気の滲んだ笑顔を浮かべる松村沙友理だ。
一見するとこれが「悲しみ」に直面した人物の反応なのだろうか?と疑問に思うかもしれない。
だが、人は悲しいからといって、そのたびに涙を流すだろうか?
僕はそうは思わない。
自分の機嫌を取ろうと自分の好きな食べ物をたらふく食べる人もいるだろうし、現実逃避の手段としてクラブなどに出かけて狂乱の中で悲しみを紛らわせる人もいるだろう。
堀未央奈と松村沙友理は「悲しみ」に対する防衛行動として、あの演技をしている。
直接涙を流すよりも、豊かな演技をしているのだ。
乃木坂46のMVでは、ストーリー仕立てて展開されるものが多い。
ストーリー仕立てではないMVは、物語性を一切捨てて、ダンスのみで見せるものが多かった(SingOut!やシンクロニシティなど)。
しかし今作では、物語性を持っていながらも、ストーリーが展開されるわけではないという珍しい演出がされている。
各メンバーにはそれぞれ「悲しみ」を背負った設定が与えられ、ワンシチュエーションで演技する。
それをつなげてMVを構成していく。
いわゆる「オムニバス」形式である。
そのため、ぱっと見では散漫な、それぞれの要素が散らかっているかのような印象になってしまう。
だが決して、適当に撮った映像をつなぎ合わせただけのものではない。
象徴的なのが1番のサビ部分。
ここでは、一拍ごとに各メンバーの「悲しみの表情」が映し出される。
サビに一番重要な部分をもってくるという演出は王道そのものであるといえる。
つまりこのMVは物語性で統一するのではなく、「悲しみという感情」で統一されたMVだと読み解くことができる。
4期生のプロモーション-王道のアイドルソング形式
乃木坂46は作品としてのクオリティを優先するために、個人を美しく撮るというアイドルプロモーションの王道といえる手法を捨てることがしばしばある。
例えば、2ndシングル「おいでシャンプー」のジャケット(高山一実が「自分史上一番クソな顔」と表現した)や、5thシングル「君の名は希望」のジャケット写真(星野みなみが「髪が顔にかかっているのが嫌だったと発言)などがある。
今作のMVでも、3列目のメンバーが映る回数は1、2列目のメンバーに比べて極端に少ない(3列目メンバーの単推しファンには少々辛いだろうが…)。
というように、「個人よりもグループ優先」という姿勢が見られる中、4期生のシーンの演出は少々特殊だといえる。
4期生は、とにかくカメラ目線のショットが多いのだ。
他のメンバーはシチュエーションに合わせて演技するのに対して、4期生の3人はカメラを見つめての歌唱シーンが多数登場する。
アイドルソングにおいて、カメラ目線での歌唱シーンはオーソドックスな演出である。
自分をアピールするために一番効果的だからである。
が、映画などの映像作品ではカメラ目線のショットが使われることは少ない。
カメラ目線のショットというのは、見ている側(観客)が自分の存在を意識するという効果がある。
物語に没入させるためには、見ている側(観客)には自分の存在を忘れさせる必要があるのだ。
「作品性」「物語性」を重視する乃木坂46において、カメラ目線ショットを使う意味は大きい。
それほどに今作にとって、ひいては乃木坂46そのものにとって4期生のプロモーションは重要であるということになる。
ダンスパート-作品の世界観を支える「軸」そのもの
ダンスパートは、歌詞と最もリンクしているパートである。
歌詞と合わさって、楽曲の世界観を最もよく表している。
群衆の中に埋もれて立っているメンバーのシーンは、世界観と自分たちの今いる状況を示している。
世間の荒波、だれも自分たちに見向きしない、厳しい現実。
その中で自分たちはどう闘っていくか?
…これが、群衆シーンの意味である。
そしてMVの中盤以降、彼女達は団結して踊り出す。
団結すること。
つまり、乃木坂46というグループに所属することで、現実と闘っていくという選択をするのだ。
おまけ-桜井玲香の卒業
「夜明けまで強がらなくてもいい」は、桜井玲香の卒業シングルでもある。
当然、ファンはそれなりの演出を期待したことだろう。
それに対する答えはこのように提示された。
桜井玲香もまた、役を与えられ演技する一人としてMVに登場し、
彼女が席を立つと、空席となった場所に「乃木坂46」というロゴが出る。
グループの一員としてMVに参加し責任を全うし、彼女が去った後もグループは続いていく。
素敵じゃあないですか。それでこそキャプテン。
まとめ
ここまで長々と書いてきましたが、このMVの良さが少しでも伝わったでしょうか。
正直に言えば、YouTubeのコメント欄での批判的な意見はMVの仕上がりについてだけではないので、その全てを解消することはできないでしょう。
ただ、「みおな爆食いする意味わかんねー」とか「3列目映らなさすぎ」とか、そういう意見に対してはある程度答えを提示できたのではないかと思います。
ちなみに僕のMVでの1番のお気に入りショットは、30秒あたりでの遠藤さくらにカメラがズームする場面です。
4:3の画面比率もあいまって「なんだこの古臭いズームは!おもしれえ!」と思わずツッコんでしまいました。
あと2:20秒の新内姉さんのキメキメショットとか。あれ編集マンが使いたくなる気持ちすごく分かるなあ。かっこいいのにちょっと面白いもん。あれ。
1番のお気に入りって言ったのに2個書いてしまいました。本当はもっとあるけど。
お読みいただき、ありがとうございました。
ご挨拶
はじめまして。
このブログの管理人、harryk01です。
このブログでは、エンターテイメント業界の端っこに身を置く僕が過去、現在問わず(未来もあるかも?)流行っている、面白いといわれているあらゆるものについて好き勝手に考察、解説、感想を書いていきます。
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