エンタメの辺境から中心地を観測するブログ-Watching entertainment movement!

エンタメ界の端っこで生きる管理人が、世を騒がせる数々のエンターテイメント作品について、あれこれ考察するブログです。

24JAPANをどう観るか-獅堂は老けすぎ、朝倉は若すぎ?

10月9日から、アメリカの大ヒットドラマ「24」の日本リメイク版ドラマ「24JAPAN」が放送開始しました。

今回は、「24JAPAN」の違和感について考えてみます。

 

 

 

「24JAPAN」のターゲットは誰なのか?

 

私は本家の24も視聴済みの状態で24JAPANを観ました。

素直な感想としては、「誰に観てもらいたいんだろう?」です。

実は24JAPANは、第1話の展開としてはかなり忠実に本家であるアメリカ版24の第1話をなぞっています。

24はリアルタイムサスペンスであり、同時並行で物語が進む複雑な脚本は、必要以上の改変を許す隙がないのだと思います。

つまりは、アメリカ版24を観ている視聴者にとっては「日本版ローカライズはどう変化するんだろう?」という楽しみでしか引きつけることができないにも関わらず、その余地があまり無いといえます。

となると、アメリカ版24を観たことがない視聴者をターゲットにしているのでしょうか。

 

30代以上の海外ドラマファンはアメリカ版を観ていると仮定すると、次のホット層は国内ドラマファンの高齢者層、いわゆるF3,M3層です。

24JAPANを放送しているテレビ朝日はこの高齢者層に強いドラマを複数放送してきました。

「相棒」や、「ドクターX」「科捜研の女」などです。

24JAPANのキャスティングを考えると、この層にはリーチしそうな条件が揃っているように思います。

 

しかし、F3,M3の視聴者はアメリカ版24の大ブームを知っていると考えられます。

 

 

 

大切なのは「キャラクター」

 

アメリカ版24を観たことがない視聴者でも、「ジャック・バウアー」を知らない人というのは中々いないと思います。

当時のブームは凄まじく、ジャック・バウアーのものまね芸人であるどきどきキャンプ岸さんも、大ブレイクしていましたね。

それほど、「ジャック・バウアー」というキャラクターは世間に認知されていますし、これと比較される運命なのです。

 

24JAPANが立ち向かうのは、「ジャック・バウアー」というキャラクターそのものともいえるのです。

 

 

 

「24JAPAN」の理想的な視聴者は、「アメリカ版を見たことがなく、ジャック・バウアーを知らない高齢者世代」ということになります。

そのような視聴者がどれほどいるのか、また他の世代にどれだけ広がっていくのか…これからの展開に期待です。

 

 

 

 

 

 

 

「24JAPAN」二つの疑問-年齢-

 

 

私が24JAPANに対して抱いた違和感の中で特に大きいのが、「年齢」です。

 

まず一つ目は、主演の唐沢寿明さんの年齢。

 

主人公、獅堂現馬を演じる唐沢寿明さんは現在56歳。

実はジャック・バウアーを演じたキーファー・サザーランドは、24JAPANの元となった原作シーズン1では36歳です。(また現在のキーファーは54歳。唐沢さんより2歳若い!)

もしも今後、24JAPANのシーズン展開を見据えているとすれば、このキャスティングには違和感があります。

制作側は、24JAPANの人気が出たとしても、続編を作る気は無いということなのでしょうか。

 

ただ、戦う男ジャック・バウアーの日本版としての唐沢寿明には、意外なほど違和感がないのも事実。

これは期待できます。

 

 

 

 

そしてもう一つは、仲間由紀恵さん演じる朝倉麗。

 

仲間さんは現在40歳。

演じている朝倉麗の年齢は特に公開されていませんが、総理大臣候補となる党首の年齢が40歳だとしたら、違和感を感じざるを得ません。

日本の総理大臣の就任時の年齢を見てみると、戦後最年少の総理である安倍晋三氏も、就任時52歳。

戦前まで遡っても伊藤博文氏の44歳となります。

 

また、アメリカ版24のシーズン7に登場する、初の女性大統領テイラーを演じたチェリー・ジョーンズは当時52歳である事を考えても、朝倉麗…若すぎませんか?

 

仲間由紀恵さんは素敵な女優ですが(トリックは最高でした)、40代後半〜50代の女優でも素敵な方はいたのではないかと思います。天海祐希さんとか。

 

 

この年齢の違和感が話が進むうちに解消されるのだとしたら、その脚本に脱帽です。

 

 

 

 

 

 

さて、色々と気になる点を書いてみましたが、ドラマはまだまだ走り始めの段階であることも事実。

脚本がアメリカ版をほぼそのまま踏襲するのだとすれば、シナリオ自体は面白いこと間違いなしなので、あとは舞台を日本にしたこと、今の日本の現状をどれほど盛り込めるのか、それをどう料理するのか、期待したい部分もまだまだあります。

 

この半年間、楽しみですね。

欅坂46と日向坂46、エースを求めた2つのグループ

こんにちは。 

 

 

アイドルグループ欅坂46は、10月12日、13日のライブを持って活動休止、新たに櫻坂46として再始動することになりました。

 

そして、「けやき坂46」として結成され、2019年2月に改名した日向坂46。

 

欅の名を持っていた2つのグループは、これからは別々の道を歩むことになります。

しかしこの2つのグループは、名前以外にも多くの共通点を持っていたように思います。

 

今回はその中の1つとして、「共にエースを求めるグループ」であった点について考察してみたいと思います。

 

 

 

 

 目次

 

 

 

 

 

平手友梨奈」を求めた欅坂

デビューシングル「サイレントマジョリティー」で鮮烈なデビューを果たした欅坂46。その中心は紛れもなく平手友梨奈でした。

しかし2017年夏ごろから、平手はパフォーマンスが十分に発揮できない状況になります。

ドキュメンタリー映画「僕たちの嘘と真実」でも描かれていましたが、公演当日に平手が出られなくなり、代役をどうするか話し合うシーンがありました。

最終的に代役を立てることはできず、ファンの動揺した表情が印象に残ったとメンバーは振り返っていました。

その後も欅坂メンバーはたびたび起こる「平手の不在」と向き合うことになったのです。

最終的に欅坂46は、平手友梨奈以外のセンターを正式に立てることはせず、グループとしての幕を引くことになりました。

 

 

「長濱ねるの代わり」を求めた日向坂

長濱ねるがたったひとりの「けやき坂46」となったことで「長濱ねるの仲間を探そう」と始まった「けやき坂」1期生オーディション。

そこで集まった1期生11人は、アイドルの素質を持っているから合格したことに違いないのですが、オーディションを担当した運営は「長濱ねるの仲間」という意識を持っていたことは間違いありません。つまり、「最終審査を辞退していても合格させるほどの逸材を食ってしまうような人物は選ばれない」という意識が、深層意識には働いていたように思います。

そうして始まった「けやき坂」ですが、長濱が漢字欅を兼任することにより、長濱の稼働は苛烈を極め、精神的に不安定であったことが「3年目のデビュー」でも描かれています。後に長濱ねるは、ひらがなけやきとの兼任を解除され、漢字欅専任となります。

そんな中行われた2期生オーディションは、運営にとって「長濱ねるの代わりを探すオーディション」であったことは間違いありません。

「エース候補」として集められた2期生たち。

そして新たなエースとして白羽の矢が立ったのが、小坂菜緒でした。

 

 

 二つの坂道の先

それぞれの道を歩みつつも、似たような課題を抱えて進んできた欅坂46と日向坂46ですが、新たに櫻坂46となった新グループは2期生の森田ひかるをセンターに据えることになりました。

新たなグループを新メンバーに託すというのも2つのグループの共通点。

 

これからもその道のりを、楽しみにしています。

 

冷蔵庫が常温庫になりまして

我が家の冷蔵庫は、まるで変温動物のようなのだ。

 

 

3年前、中古で購入した冷蔵庫。中古にしては状態がいいなあと思いながら使っていたのだが、異変が起きたのは去年の9月末。

 

中に入れていた牛乳が、ぬるい。

 

その頃はまだ暑かったので、異変にはすぐに気づいた。

色々調べてみたが、どうやら冷蔵庫の寿命のようだ。

だが、その様子が少し変だった。

 

冷蔵室は、ほぼ常温のような状態になっていた。ドアを開けても気持ちの良い冷気は全く流れ出してこない。

製氷室を開けてみると、氷が溶けていた。

しかし中の空気は冷えている。冷凍庫だった場所は、なんとか冷蔵できる程度の力は残されているらしい。

 

冷蔵庫の、冷蔵能力が落ちていたのだった。

 

これを冷蔵庫の寿命ととるべきか……悩んだ。

しかし悩んでいるうちに季節は秋になり、外は涼しくなっていく。

すると、またも冷蔵庫に異変が起きる。

 

 

冷蔵庫が、冷えている。

 

 

どうやら、秋になり外気温が下がった事で、冷蔵庫は再び普段の力を取り戻したらしい。

なんでやねん!そんな事あるか!

…と、ツッコミを入れつつ、再び冷蔵庫を使いはじめたのでした。

 

しかし事件はそれでは終わらないのだった。

 

 

 

 

年が明け、5月。

 

今年は暖冬だったことを取り戻そうとしているのか、春になっても寒い日が続いていた。

 

そして現在、世界中で流行している新型コロナウイルス感染症

その影響を受けて、僕も外出自粛の生活を送っていた。

僕は、「外出自粛のため」という一心で120個入りの冷凍餃子を買い込んだ(僕は餃子がとにかく大好きなのです)。

 

しかし、大量の冷凍餃子を買ったその日は、今年初めて夏日となる気温だった。

 

買ってきた冷凍餃子を冷凍庫に放り込み、仕事に向かう。

仕事が終わったら、餃子を焼いてビールを飲もう。そう思っていた。

 

しかし、冷凍庫を開けると、冷凍されていたはずの餃子は全て溶けていた。

「ああ…忘れてた!」

今日の昼は暑かった!

半年ぶりに、冷蔵庫が外気の影響を受けることを思い出した。

これからまた、冷蔵庫は常温庫になる。

 

冷凍餃子は解凍された状態では味が落ちるので、溶けた餃子はすべて焼くしかありませんでした。

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

2019年映画ランキング!

こんにちは。

 

今回は、エンタメ界の辺境で細々と生きている管理人が、今年観た映画をランキング化して発表させていただきます!

 

私は映画鑑賞を趣味の一つとしておりまして、なるべく月1本は劇場で映画を観るようにしています。

完全に個人的な楽しみで映画を採点しているのですが、せっかくなのでこのブログにも載せたいということで、書かせていただきました。

 

採点方法は、

物語、ビジュアル、演技・キャラ、インパクトの各5点満点+その他加点制(5点)の全25点満点で判定しています。

各作品にはコメントもつけています。 

すでに上映終了している作品もありますが、レンタルビデオ店や配信サービスでこれらの作品を見つけた時、このレビューが参考になれば幸いです。

 

 


10位 ファースト・マン 14点

(物語3、ビジュアル4、演技・キャラ3、インパクト2、その他演出2)

「セッション」「ラ・ラ・ランド」のディミアン・チャゼル監督が初めて原作付きの作品を監督した作品。

歴史的な功績に胸を高鳴らせる、というものでは収まらないドラマを描いていた。物語には常に「死」が漂っていた。

主観ショットが多く、徹底的に主人公に没入させる演出が良かった。

 

 


同10位 さよならくちびる 14点

(物語3、ビジュアル4、演技、キャラ4、インパクト1、その他演出2点)

全体的にじっとりと重い印象。曲の歌詞はすごく良かったが、その分台詞回しの説明してる感が際立っていた。

 

 


同10位 劇場版ファイナルファンタジー14 光のお父さん 14点

(物語3、ビジュアル3、演技・キャラ4、インパクト4)

脚本はまさに王道。展開読めすぎて中だるみしたけど、結局感動してしまった。王道強し。

ゲーム内のキャラクターたちが演技しているシーンは画期的でとても面白かった。

 

 


同10位 いつのまにか、ここにいる/documentary of 乃木坂46  14点

(物語4、ビジュアル4、演技、キャラ-、インパクト4、その他監督の葛藤に1点、まとめ方の秀逸さに1点)

乃木坂の裏側、そして裏表の無さも知れる作品。卒業への思いのズレは失恋に似ているとか、アイドルである自分を演じられない葛藤とか、メンバーの秘めた想いをひしひしと感じた。

監督の、映画に対する葛藤もそのまま描いていた部分も良かった。

 

 


同10位 泣くな赤鬼 14点

物語4、ビジュアル3、演技・キャラ5、インパクト2、その他0

人の人生を描くとはこういう事だろう、という描写の丁寧さ。

それ故に中盤中だるみしたと感じたが、仕方のない部分。

前半のフリを丁寧に回収していくのは好み。これは原作もそうなのかな。

人の命が軽いわけがない、という当たり前のことを改めて感じさせてくれた。

 

8位 Fate/stay night Heavens Feel 15点

(物語4、ビジュアル4、演技・キャラ4、インパクト2、その他一見さんお断りに1点)

・前作はアクションを動きで見せていたのに、今作では止めが多いのが気になった。

前作同様、過去作予習を前提とした構成はあっぱれ。

 

同8位 アリータ/バトル・エンジェル 15点

(物語4、ビジュアル4、演技・キャラ4、インパクト3)

ビジュアルに気を取られがちだが、脚本の勝利という感じ。原作エピソードをうまく構成し直していてよくまとまっていた。

 

6位 愛がなんだ 16点

(物語4、ビジュアル4、演技・キャラ5、インパクト3、その他若葉竜也さんに1点)

感情と行動の裏腹さが面白い。スッキリする脚本構造ではないが、逆に恋愛のリアルさが出ていた。若葉竜也さんの演技がすごく良かった。

 

同6位 ‪ゴジラ/キング・オブ・モンスターズ 16点‬

‪(物語2、ビジュアル5、演技・キャラ3、インパクト4、その他豪華俳優陣に1点、ラドンに‬ 1点)

怪獣の戦闘シーンはどれも素晴らしい。が、その分脚本にしわ寄せが来ている感じ。演技でごまかせるのも限度がある。ドラマ部分でテンションが一々下がるのは辛い。

盛り上がりたいのに。

 

4位 ホットギミック 17点

物語4、ビジュアル4、演技・ キャラ4、インパクト3、その他山戸監督に1点、堀未央奈さんに1点

原作の少女漫画をきっちり自分の作品として料理できている感触。

 アクが強いとも言える独特の 映像感覚が素敵。

関係性だけで物語が進むが故のテンポの速さには驚いた。


同4位 スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け 17点

物語4、ビジュアル4、演技・キャラ4、インパクト3、その他エイブラムスの手腕に2点

3部作の完結編かつシリーズ全9作の完結編という難しい仕事をよくこなしたなと。続編という難しいものを料理するためのあらゆるテクニックが詰まってました。回収、まとめの為の作品なので、驚きより納得が勝るのが数少ない難点だけどそれは仕方ないね。

 

 3位 「天気の子」18点

物語5、ビジュアル5、演技・キャラ4、インパクト3、その他新海監督の変わらないフェチズムに1点

かつての新海監督のテーマ性を取り戻した!

世界と人の関係性、全てを救うのではなく選択せざるを得ない人生。でも、「言の葉の庭」以降のハッピーエンド的エンディング。新海誠の集大成だ!

 

2位 ジョーカー 19点

物語5、ビジュアル5、演技・キャラ5、インパクト4、その他

悪人に変貌するアーサーに感情移入してしまう脚本術は見事。

ビジュアル的にも、階段が象徴的に出ていた。アーサーは悪の道へ転落したのではなく、ジョーカーへ駆け下りて行ったのだと分かる演出で良かった。

ホアキン・フェニックスの存在感は最高だった。

 

1位 スパイダーマン:スパイダーバース 21点

(物語5、ビジュアル6、演技・キャラ5、インパクト5 その他)

何もかもが高クオリティ。中盤の主人公のヘタレぶりに若干イライラするものの、後半の展開へのフリとなっていたので問題なし。

 

 

いかがでしたでしょうか。

ご覧いただき、ありがとうございました。

 

「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」はどう着地するか?物語構造から考察する【ネタバレなし】

こんにちは。

 

12月20日スター・ウォーズエピソード9にあたる「スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け」がついに公開されます。

 

長年にわたって私達を楽しませてくれたシリーズの完結編とあって、楽しみにしている方も多いと思います。

一ファンである私も、楽しみにしているところです。

 

 

しかし、正直な想いを言えば、不安もないわけではない。

 

新シリーズは3作とも別の監督が担当すると発表されたこと。(結果的には7と9はJ・J・エイブラムスが担当することになりましたが)

マーク・ハミルが新しい脚本でのルークのキャラクターについて疑問を呈していたこと。

創始者ジョージ・ルーカスのシナリオ案はディズニーによって却下されたこと。

そして、「最後のジェダイ」での脚本の放り投げられ具合…。(ちなみに私は「最後のジェダイ」否定派です)

 

 

 

いや、不安ばっかりだな。

 

とはいえ、これまでのSW全作品を観ている私としては、「スカイウォーカーの夜明け」を観ないという選択肢はないのです。

 

 

 

ということで、「スカイウォーカーの夜明け」がどのような決着をみるのか、これまでのスターウォーズの構造から予測してみたいと思います。

 

 

 

目次 

 

 

 

 

スター・ウォーズは同じ道を辿る

 

スター・ウォーズは4,5,6のルーク3部作、1,2,3のアナキン3部作、そして7,8,9のレイ3部作の3つに分かれています。

 

ルーク3部作とアナキン3部作は、基本的に同じ構造のストーリーで描かれています。

 

これは、時系列を遡って制作するという都合からアナキン三部作の結末はアナキンがダース・ベイダーに変身するということがすでに観客には分かっていたからで、なぜそうなったかを見せるにはアナキンとルークを対比させるのが一番いいと考えたためでしょう。

 

結果的にアナキンは暗黒面に堕ち、ルークは誘惑に負けずにダース・ベイダーを救うという展開になりました。

レイはいくつかの点でアナキン、ルークとは違うキャラクター性を持っていますが、これまでの展開は似通った部分を多く持っていることも事実です。

 

これまでの類似点

 

・突然の来訪者による冒険の幕開け

アナキンにとってのパドメ一行、ルークにとってのレイア、レイにとってのフィン

・親の不在

アナキン、ルーク、レイは皆、親がいない

・初陣で能力が開花する(フォースの目覚め)

アナキンは敵の宇宙要塞を撃破する。ルークはデス・スターを破壊する。レイはカイロ・レンを撃退する。

・最初の師との別れ

アナキンはクワイ=ガンを、ルークはオビワンを、レイはハン・ソロをそれぞれ亡くしている。

・敵の反攻

シリーズ2作目では冒頭から避難、逃走を強いられることになる。

・恋

ルークとアナキンは姫に恋心を抱く。レイは敵であるカイロ・レンに惹かれる。

・苦悩の根源を知る

アナキンは、母シミの死を止められなかった事

ルークは、ダース・ベイダーが父だと知った事

レイは、自分の親は何者でもなく、戻ってくることはないという事

 

 

 

これらが旧作との主な類似点になります。

一つ一つ見ていくと、レイ三部作もこれまでのSWシリーズの構成をかなりなぞっていることがわかります。

 

 

この構造を利用して、レイ3部作の展開を予想することができそうです。

 

 

 

 

 

旧作との相違点

 

ですが、これまでの構造とは違う点もいくつか見られます。

 

・レイはスカイウォーカー家の人間ではないこと。むしろカイロ・レン(ベン・ソロ)がスカイウォーカーの血を引いていること。

 最新作のタイトルが「スカイウォーカーの夜明け(原題:Rise of Skywalker)である事を考えると、当然、カイロ・レンが物語に占める割合は増えると思われます。

 

・ディズニー側が、前シリーズの繰り返しを避けたいと考えているであろうこと。

そもそも論ですが、これまでの主人公が男性であったのに対してレイは女性である点。

これはおそらくハリウッド映画界全体の流れの影響をスター・ウォーズでも受けているということでしょう。プロデューサー達は世論の流れを考慮して主人公を女性にしたのかもしれませんが、物語構造上では小さくない変化を余儀なくされています。

それは、友情の延長としての恋愛が起こらない事です。

ジェダイは、特定のものに執着してしまうと暗黒面へと揺さぶられやすくなるという特性があります(エピソード3でのヨーダの発言)。そのため基本的にジェダイは恋愛を禁じられているのです。

しかしドラマ構成上、アナキンもルークもこれを破っています(ルークはジェダイの掟を知らないはずですが)。二人とも恋愛をすることにより弱点が生まれてしまい、暗黒面に付け入られる隙を作っているのです。

しかし今シリーズではレイは仲間であるポー、フィンとは恋に落ちません。

それどころか敵であるカイロ・レンに惹かれている様子すら見せています。

シリーズ三作目では愛する人を守るために暗黒面へ落ちるのかという展開が描かれるはずなので、この点は大きく影響すると考えられます。

 

・シリーズ2作目のエンディングで右腕を負傷しない

アナキンはドゥークー伯爵に、ルークはダース・ベイダーに右腕を切られています。

人は負傷すると心が弱り、助けを求めてしまうもの。

この負傷を一つのきっかけとして、アナキンとルークはヒロインとの絆を深めていくことになります。

しかしレイは負傷することはありませんでした。

そのためレイは「最後のジェダイ」の終盤でも元気な姿を見せています。

そのため、シリーズ2作目終了時点での主人公たちの心情としてはレイだけが一人浮いている状態にあるのです。

 

・「師との別れ」が発生するタイミングが違う

物語終盤で、それぞれの主人公は自分を鍛えてくれた師匠と別れることになります。

オビ=ワンは「シスの復讐」でクローン戦争の遠征のため、アナキンと別行動を取ることになる。

ジェダイの帰還」にて、ルークの師ヨーダは寿命で死ぬ。

レイの師ルークは、レジスタンスを救うためフォースの霊体をカイロ・レンの元に送り込み、力尽きる。

師との別れが起きている、という点では同じなのですが、アナキンとルークはこの時点ですでに一人前のジェダイに成長しているのに対し、レイはルークからの修行を終えていません。

ですがレイはすでに、カイロ・レンと互角の力を備えているのです。

 

これは似ているようですが全く違います。

教えを受けていないのに力だけを持っている状態というのは、免許を持たずに車を運転しているのと同じこと。

レイの心には、驕りが生まれている可能性があります。

 

 

 

 

ここから導き出される「スカイウォーカーの夜明け」の展開でもっとも考えられることとは…

 

 

 

 

 

レイは、暗黒面に転向する。そしてそれをカイロ・レンが救い出す、こと!

 

 

 

 

 

 

それをふまえて、エピソード9の展開を予想してみたいと思います。

 

「スカイウォーカーの夜明け」はこうなる!

シリーズ三作目でこれまで描かれてきた展開は、このようなものになります。

 

ジェダイとして成長し、友の窮地を救う

・姫君の秘密を知る

・師との別れ

・敵の標的となる

・敵の前で武器を収める

愛する人を守るために、誘惑にさらされる

 

これをもとに、「スカイウォーカーの夜明け」の展開を予想してみましょう。

 

 

 

 

ファースト・オーダーは指導者を失っている。そこに、フォースの霊体となったパルパティーンが現れる。

カイロ・レンは、父であるハン・ソロを殺した事を後悔しているとレイに打ち明ける。

カイロ・レンはファースト・オーダーから抜けたがっているが、そこにパルパティーンが現れて、身動きが取れなくなる。

レイは、カイロ・レンを暗黒面から引き戻す決意をする。

レイアは改めてレジスタンスを再興するため、別の星系に旅立つことになる。レイと決意を確かめあい、二人は別れる。

パルパティーン銀河帝国再興のため、もしくは自分の肉体を取り戻すために、強いフォースを持つ存在であるレイを求める。

レイは、カイロ・レンを暗黒面から引き戻すために敵の本拠地へ向かう。霊体のパルパティーンと対話する。

レイは、自分の存在価値の希薄さをつけ込まれ、パルパティーンに取り込まれてしまう。レイが暗黒面の手先となり、カイロ・レンはレイを救うため、パルパティーン(レイ)と対決することになる。

カイロ・レンは、ダークサイドに取り込まれたレイを救うことができるのか?

 

 

……と、このような展開になるのではないかと。

 

 

 

 

まとめ

レイが暗黒面に転向するという予測を立ててみましたが、愛するカイロ・レン(ベン・ソロ)を暗黒面から救うはずが、逆に暗黒面へと落ちてしまう。

こういう展開は今までになかったし、けれど不自然ではない。スター・ウォーズらしい展開とも言えます。

カイロ・レンはスカイウォーカー家の宿命として、シスを倒す存在であるということです。これで「スカイウォーカーの夜明け」というタイトルの伏線回収もできましたね。

 

 

とはいえ、スター・ウォーズはあまりあれこれ考えずに観るのが一番楽しいと思います!

私もここに書いた予測は全部忘れて、見たものをすべて受け入れるつもりで楽しもうと思っています。

この予想が当たっていたかどうかは、見終わってから改めて考えることにしようと思っています。

 

「スカイウォーカーの夜明け」を観る前にこの記事を読んだあなたも、観たあとで読んだあなたにも、フォースが共にありますように!

 

2019.12.18

 

 

 

 

 

 

 

 

p.s.ライトセーバーを扱うフィンしかり、フォースに目覚める奴隷の子供しかり、レイ三部作の裏テーマって「フォースは皆の中にある」だと思うんですけど、結局スカイウォーカー家が解決しちゃうのは大丈夫なんですかね?(書き終わってから気付いた)

この予想、当たっても外れても、複雑な気分になりそうです。笑

 

 

 

「天気の子」は新海誠の集大成だ!-

7月19日に公開され、大ヒットを記録している映画「天気の子」。


いやー面白い!

「天気の子」は新海誠の集大成、最高傑作だと思っています。

というのは、「天気の子」は、新海監督が描いてきたテーマを改めて提示すると同時に、「君の名は」以降、ヒットメーカーとしての宿命を両立させたという点で、画期的だったと考えているからです。


今回は、「天気の子」が新海誠監督にとってどういった作品だったのか、考えていきたいと思います。

 

 

 新海誠は、何を主題とする作家なのか?




新海監督がこれまで一貫して描いてきたテーマは「男女の距離」です。

「距離」とは物理的な距離だったり、心の距離感だったりします。

そしてもう一つ重要なテーマが、「結ばれない男女」。

お互いのことを想っていても結ばれないという切なさも、新海監督作品の特徴です。

 

 

 


各作品は新海監督にとってどのような意味を持つか?


ほしのこえ」‐新海監督の原点

ほしのこえ」では、世界を救うために遠宇宙へ旅立つ女の子と、地球に残された男の子との距離。心ではつながっていても、物理的距離が離れていくにつれてメールが届くまでの期間が離れてしまうという切なさ。


雲のむこう、約束の場所」-初めてチームで制作

 

秒速5センチメートル」‐「結ばれない男女」の到達点

秒速5センチメートル」では、かつて両想いになった二人が、転校や進学、就職によって離れ離れになってしまい、偶然の再会を果たしても、もう出会うことはできないというストーリー。

 


星を追う子ども」-ジブリの幻影を追う

 


言の葉の庭」‐初めてハッピーエンドを描いた作品

秒速5センチメートル」よりもさらに世界を小さくした。

一時の恋愛という失恋が前提かのようなテーマを扱いながらも、新海監督作品としては初めて主人公二人の思いが結ばれる形でエンディングを迎える。

 


「君の名は」‐「売れ線」をテーマに

「結ばれない男女」という切なさが新海作品の真骨頂であるが、「君の名は」では方向転換。ハッピーエンドを迎える。

テーマ性では「男女の距離感」を大きく扱った。

 

 

 


新海監督のこれまでの作品を大まかにまとめると、こうなります。

その上で「天気の子」はどういう作品だったのか?

 

「天気の子」-売れ線と作家性との両立

これまでの新海作品では、男の子は遠ざかっていく女の子に何もすることが出来ないという無力さが、切なさを孕む独特の作品性につながっていました。

「天気の子」では、帆高が「選択」をすることによって、世界の形が変わってしまう。


これが新しい。

 

 
「君の名は」では、「選択」によって石森町の隕石事件を無かった事にする。


だが「天気の子」では、「選択」を取っても、出来事自体を無かったことにはしませんでした。

新海作品で初めて、主人公が世界の行く末に対して責任を取ったのです。

 

 

男女の行く末という観点から見ると、

ほしのこえ」-女の子を見送るだけ

秒速5センチメートル」-再び巡り会えても、声をかけることはできなかった

言の葉の庭」-二人は結ばれるが、それぞれの道へと進む

「天気の子」-二人は結ばれる。

 

世界の行く末という観点から考えると、

ほしのこえ」-世界は滅亡する(と示唆される)

「君の名は」-世界の滅亡は、なかったことになる

「天気の子」-世界は、変貌する

 


ほしのこえ」と「天気の子」を比較したとき、「新海誠作品」としての主人公の成長、変化が見られたことに、僕は感動しました。

 

…と、色々と語ってきましたが、そんなもの作品の個別評価と何も関係ないじゃないか!というセルフツッコミをしておきます。

 

どうも僕は、物語の構造にばかり目がいく人間のようです。

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

バチェラー3の衝撃的な結末は、ドラマとして王道すぎる【感想・考察】

 

 

 

この数ヶ月、日本中の皆さんをドキドキさせ、最後にはもやもやの渦に巻き込んだであろう作品、「バチェラー・ジャパン」シーズン3。

 

世間では今回のバチェラー、友永真也さんに対する猛批判が巻き起こっているようですね。(主に女性からの批判が多いようです)

 

 

 

しかし管理人は、今回のバチェラーの選択を全面的に支持します。

 

 

と、こう書くとバチェラーの選択を受け入れられない皆さんからは非難轟々でしょうかね、きっと。

 

私がこのような感想を持った理由は、「ドラマの展開として、よく出来すぎている」からです。

 

どういうことか、説明したいと思います。

 

 

目次

 

 

 

番組としては型破りな結末

そもそも、「バチェラー」はドラマではなく、「恋愛リアリティ番組」です。

 

「バチェラー」という番組の構造としては、富も知性も持つ完璧な男性を多数の美女が奪い合い、最終的に選ばれた一人の女性とバチェラーが結ばれる、というものです。

そこで描かれる女性達のバトルや、バチェラーの苦悩などにスポットを当てながらバチェラーまたは女性に感情移入しつつ、または一歩引いた目線で応援しながら視聴していくというのが、多くの視聴者の見方だったかと思います。

 

今回のシーズン3では、初めてエピソード終了後すぐに新たな展開が生まれました。

最終エピソードで結ばれたはずの水田あゆみさんと破局し、去っていった岩間恵さんと新たに交際を始めたという展開です。

これはこれまでのシーズンでは見られなかったものでした。いわゆる「ちゃぶ台返し」ともいえる「そりゃないよ」的な展開です。

 

これは、一作品として「バチェラー・ジャパン」を楽しみたい視聴者の皆さんには受け入れがたいものになったということなのだと思います。

 

そういう意味では、シーズン3が、そしてバチェラーが批判される理由は当然のものと受け止めることもできます。

 

しかし管理人が今回のバチェラーを支持する理由は、もう少し違うところにあります。

 

 

 

 

 

「ドラマとして出来すぎている」理由

さて、その結末が一部の視聴者から猛批判を受けている「バチェラー・ジャパン」シーズン3が、なぜドラマとして出来すぎているといえるのか。

 

それを解き明かすために、最終エピソードまで残った二人の女性と、バチェラーである友永真也さんの物語構造的立ち位置を説明します。

 

友永真也…主人公。優柔不断で、いろんな女性に目移りしてしまう。

岩間恵…主人公が片想いする女性だが、主人公には思わせぶりな態度をとる。

水田あゆみ…主人公を一途に愛する優しい女性だが、なかなか報われずにいる。

 

と、このようになります。

 

 

恋愛ドラマの王道展開として、「自分を無条件に愛してくれる異性と一度付き合うも、自分の中の違和感を捨てきれずに、本当に愛する異性の元へ戻っていく」というものがあります。

 

例としては「花より男子」(ドラマ版)

10話で、事故により記憶を失った道明寺が、健気に自分を看病してくれた女の子のことを好きになってしまい、つくしのことを無下に扱う。

しかし最終的には記憶を取り戻し、二人はハッピーエンドを迎える。

というもの。

 

花より男子」ではこのエピソード以外でも、基本構造として道明寺司、花沢類、牧野つくしの三角関係というものが主軸として存在しました。

 

牧野つくし…主人公。本心では道明寺に惹かれているものの、それをなかなか認めない。

道明寺司…財閥の御曹司。つくしに対して厳しい態度を取り続ける。

花沢類…F4の一員だが、つくしに優しい。

 

 

この関係性、似ていますよね?

 

「バチェラー」の登場人物を「花より男子」の登場人物に当てはめるならば、

 

友永真也=牧野つくし=主人公

岩間恵=道明寺司=真に愛する人

水田あゆみ=花沢類=恋のライバル

 

…と、このようになります。

それぞれの設定も、男女逆転しているだけでほぼ同じですね。

 

 

このような関係性、ドラマ展開は、恋愛ドラマではよくある展開であり、王道なのです。

 

以上の理由から、「『バチェラー』はドラマとして出来すぎている」という結論にたどり着くというわけです。

 

 

 

 

 「恋愛リアリティ番組」はどれほどリアルなものとして捉えられているか?

さて、「バチェラー・ジャパン」シーズン3はドラマとして出来すぎている、と書いてきましたが、依然として残る問題は「バチェラーはドラマではなく、恋愛リアリティ番組だ」という点です。

 

私は、視聴者にとって「恋愛ドラマ」と「恋愛リアリティ番組」は、それほど別のものとして捉えられているようには思いません。

それぞれの作品を見る際に視聴者がすることは実は全く同じで、それは「登場人物に感情移入しながら、恋愛の行く末を追っていく」ことです。

 

特に「バチェラー」シリーズでは現実離れした展開が多いため、視聴者の中にはフィクション要素を強く感じる人もいたのではないでしょうか?(ヤラセという意味ではありませんよ。「物語」のように感じられたということです)

 

むしろ本当にすごいのは、これが脚本のあるドラマではなく、あくまで台本のないリアリティ番組で起きたことだと考えています。

 

 

 

 

 

終わりに-それでも納得できない

いかがでしたでしょうか。

ここまで「バチェラー」のドラマとしての秀逸さについて書いてきました。

とはいえ、その結末に納得できない方がいることには違いないと思います。

 

 

その理由は、

「誰に感情移入していたか」だと思うのです。

 

最初から作られたドラマでは誰に感情移入させるかを作者がコントロールしているものです。

しかし「バチェラー」ではリアリティ番組であるからこそ、誰に感情移入するかは視聴者の自由。

「バチェラー」を見ていた方ならば、一途にバチェラーを想う水田あゆみさんに「報われてほしい!」と入れ込んでしまうのも仕方のないこと。

 

今回のバチェラーでは残念な結果となってしまいましたが、水田さんが主人公の物語がきっとあるはずです。

その物語では幸せな結末となることを願わずにはいられません。

 

 

 

もちろん、今回結ばれたバチェラー友永さんと岩間恵さんも、素敵な人生を。

 

 

 

 

お読みいただき、ありがとうございました。